2014/11
日本の電源開発君川 治


【産業遺産探訪  4】


写真1 蹴上発電所


写真2 導水菅


写真3 琵琶湖疏水記念館


写真4 三居沢発電所


写真5 横軸フランシス水車

電気時代の幕開け
 我々の生活は日々電気の世話になっている。家庭では電灯・テレビ・冷暖房・冷蔵庫・調理家電などに使われ、外に出れば交通信号・電車・駅の自動改札など数え挙げればキリが無い。携帯電話・パソコン・腕時計・デジカメなど身につけるものも電気で動いている。
 電気が日本の社会に登場したのは明治11年3月25日(1878年)、中央電信所開所式でアーク灯を点灯したのが最初である。工部大学校教授エアトンの指導で、学生であった藤岡市助、中野初子、浅野応輔らが電源の電池を並べて点灯した。短い時間のデモンストレーションであったが、参会者の驚きは非常に大きかったと伝えられている。
 日本で最初の発電所は明治20年(1887)に日本橋に設置された。25kwエジソン式直流発電機であり、電灯用である。東京電燈会社の設立が明治16年(1883年)、その後明治20年に神戸電燈、明治21年に大阪電燈、京都電燈、明治22年に名古屋電燈、横浜中央電燈、明治23年に神奈川電燈が設立され、全国各地に電燈会社が設立されていく。
 本格的な交流火力発電所は東京電灯で、藤岡市助の指導で浅草に設置された。大阪電灯は岩垂邦彦を技師長として西道頓堀に建設した。鉄道や電信は政府の直轄で進められたのに対し、電源開発は民間事業者により進められ、明治の大失策と云われる東日本50Hz、西日本60Hz体制が始まった。その後、藤岡市助は東京芝浦電気、岩垂邦彦は日本電気の創始者となる。


我が国初の水力発電所
 我が国最初の事業用水力発電所は京都の蹴上発電所(写真1)である。明治維新により首都が東京に移って以来、地盤沈下の激しい京都を復興するために企画されたのが琵琶湖疎水事業であった。この疎水は京都に水道水、灌漑用水を供給すると共に淀川から琵琶湖までの水上交通路として計画された。計画推進は工部大学校卒業の若手技師田辺朔朗である。この疎水事業を推進中にアメリカで水力を利用した発電所があると知った田辺は、アメリカまで調査に出向き、疏水の水を利用した発電所を建設した。
 1891年に完成した蹴上発電所は80kwエジソン式直流発電機2台を使用した。その後、交流発電機も使用し、電灯用は交流、京都市内の工場の動力用と市内鉄道用は直流と使い分けている。この発電所はその後も拡張工事を進め、今も関西電力の現役発電所である。
 蹴上発電所の建物は昔のままで残っているが、現役の発電所のため残念ながら見学はできない。疎水から発電所までの導水菅(写真2)は間近に見ることができる。近くに琵琶湖疏水記念館(写真3)があり、当時の水路設計図や工事の概要が説明されている。当初に使用されたペルトン水車や直流発電機も展示されている。


三居沢発電所
 水力発電所の歴史を調べてみると、我が国最初の水力発電所は三居沢発電所(写真4)となっている。現在は東北電力の管理となっているこの発電所は1888年の完成で、蹴上発電所より3年先輩である。1988年に東北電力が三居沢百年記念館を建設し、発電所建設の経緯などを説明しているが、元は事業所用の発電所であった。
 一関藩士であった菅克復は明治維新による武士の失業救済のために、私財を投じて綿織の機器を購入し、明治7年に仙台市北三番丁に機織場を設立して、明治16年(1883)には宮城紡績株式会社を創設した。東京・銀座にアーク灯が点ったのを知った菅克復は早速これを調べ、発電機を購入し、紡績用の水車に発電機を取り付けて工場の照明用電燈とした。アーク灯1基、白熱電灯50灯を点灯したのが1888年7月1日である。当時の発電機は三吉電機工場製5kw直流発電機で、設計は工部大学校の藤岡市助である。
 発電所建屋は下見板の瀟洒な木造建築で、明治42年に完成した。現在の発電機は1000kwで昭和53年より自動化され、東北電力錦町制御所より遠隔制御が行われている。


駒橋発電所
 電力消費地から離れたところに発電所を作り、高圧送電する技術が開発された。
 明治40年(1907)に東京電灯鰍ヘ中央線猿橋に駒橋発電所を建設した。富士山を源流とする桂川に大型水力発電所を建設し、東京早稲田変電所まで約80kmの長距離送電を計画した画期的なものであった。発電所の出力15,000kWは日本一、送電電圧55,000Vは東洋一、どちらも当時としては記録的なものであった。
 元東京電力の友人の案内で、駒橋発電所を見学した。現在も駒橋発電所は現役であるが、水路菅、発電機、水車とも新しくなり、無人運転で発電する発電所である。
 当時のもので残っているのは発電所建屋の一部と排水路くらいで、入口に展示してある横軸フランシス水車(写真5)は別の発電所で使用したものであった。その脇に「東京送電水力発祥の地」の石碑がある。
 発電所内に創業100年の資料を写真で展示してある。駒橋発電所で使用した横軸フランシス水車は横浜の「電気の史料館」に展示してあるそうだ。
 案内して頂いた東京電力の人によると、駒橋発電所は産業遺産ではあるが当時の姿を残すものは少ないが、下流の八つ沢発電所は水路橋など当時のまま残っており、国の登録文化財に指定されているという。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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